IZUMO4 祝詞(三)
稜威母(いずも):「 千の獄にて、千の呪を幸ひ、千に引き裂かれん、塞の岩 呪詛返し・千引道返之大神 」 依據『古事記』所記載イザナギ逃離黃泉國之際,イザナミ追趕而來- 「爾千引石引塞其黃泉比良坂、其石置中、各對立而、度事戸(ことど)之時、 伊邪那美命言「愛我那勢命(うつくしきあがなにせのみこと)、爲如此者、汝國之人草、一日絞殺千頭。」 爾伊邪那岐命詔「愛我那邇妹命(うつくしきあがなにものみこと)、汝爲然者、吾一日立千五百產屋。」 是以、一日必千人死・一日必千五百人生也。 故、號其伊邪那美神命、謂黃泉津大神(よもつおおかみ)。 亦云、以其追斯伎斯(おひしきし)而、號道敷大神(ちしきのおおかみ)。 亦所塞其黃泉坂之石者、號道反大神、亦謂塞坐黃泉戸大神(さやりますよみどのおほかみ)。 故、其所謂黃泉比良坂者、今謂出雲國之伊賦夜坂也。 額外一提,IZUMO的出雲學園所在之山坡相當於黃泉比良坂/伊賦夜坂。 (也是IZUMO中ヒカル與妹妹美由紀上下學的通學路~) 『日本書記』第六個一書則記載:「後則伊奘冉尊亦自來追,是時伊奘諾尊已到泉津平坂(よもつひらさか), 故便以千人所引磐石(ちびきのい)は,塞其坂路,與伊奘冉尊相向而立, 遂建絕妻之誓(ことど,即古事記所云度事戸)。 時伊奘冉尊曰:「愛也吾夫君(うつくしきあがなぜ),言如此者,吾當縊殺汝所治國民,日將千頭!」 伊奘諾尊乃報之曰:「愛也吾妹(うつくしきあがなにも),言如此者,吾則當產日將千五百頭。」 因曰:「自此莫過。」投其杖(みつゑ)。是謂,岐神(ふなとのかみ)也。 【岐神,此云ふなとのかみ。即經勿處ふなと,莫過之所也。】 又投其帶(みおび)。是謂,長道磐神(ながらはのかみ)。 又投其衣(みそ)。是謂,煩神(わづらひのかみ)。 又投其褌(みはかま)。是謂,開齧神(あきぐひのかみ)。 又投其履(みくつ)。是謂,道敷神(ちしきのかみ)。 其於泉津平坂所塞之石, 【或所謂泉津平坂者,不復別有處所,但臨死氣絕之際(みまかるにのぞみていきたゆるきは),是之謂歟。】 是謂泉門塞之大神(よみどにさやりますおほかみ)也,亦名道返大神(ちかへしのおほかみ)矣」。 根據記紀神話,イザナギ以千引之石(需要千人之力才能搬動的巨大岩石)來塞阻黃泉與顯世之間的通道, 作為阻擋來自